ユニバーサルデザイン(UD)の原則を最初に唱えたのは建築家であり、また工業デザイナーであったアメリカ人ロン・メイスで、1970年代のことでした。UDという言葉の定義は「修正や特殊なデザインを用いることなしに、できる限り大勢の人々に利用できるように、製品と環境をデザインすること」です(※1)。
※1 Center for Universal Design, “Universal Design”
情報通信分野の技術者にUDを紹介すると、批判を受けることがあります。「ひとつの機器やひとつのサービスを、できる限り大勢の人々に利用できるようにするというのは非現実的だ」と言うのです。確かに、親指を高速で動かして電子メールを作成する若者が好む携帯電話とまったく同じ製品を、大きな文字のついた数字キーをゆっくり押すことを好む高齢者用に販売することはむずかしいでしょう。
ここでは、情報通信分野の人々も同意できるようにするために、UDの概念をどう拡張したらよいかについて説明しましょう。
メイスが真っ先に注目したのは建物です。最近、UDとして宣伝されているものは、洗濯機や自動車。これら、建物、洗濯機や自動車と、情報通信機器やサービスとは、どこが最も違うのでしょうか。第一は、製品やサービスの寿命です。第二は、個人使用か、家族あるいは公共的な使用かといった利用の様態です。
建物は木造でも20年、鉄筋コンクリートではもっと長期間、さまざまな人々によって利用され続けます。後からエスカレータやエレベータを取り付けるといった工事を行うことは、とてもむずかしいことです。だから建築の当初からUDを意識する必要があるわけです。
自動車や洗濯機は、建物に比べれば製品の寿命は短いものです。しかし利用者に合わせて、一家庭で自動車を何台も購入することは少ないでしょう。高額で、駐車の場所もないからです。だからUDの原則を満たす自家用車は意義深いと考えられます。自動車には公共用も存在します。バスが典型で、乗車するのは、高齢者や、車椅子利用者かもしれません。だからUDが重要なのです。洗濯機も同じように考えることができます。
携帯電話は個人所有が当たり前です。会社として登録していたとしても、それを社内で共有する状況は非現実的です。その上、頻繁に買い換えます。つまり製品としての寿命が短いのです。パソコンも同様です。今では個人使用が当たり前のこととなっています。携帯電話やパソコンでは、その個人がもっとも使いやすいデザインであるということが求められます。
製品の寿命と利用の様態を軸とする二次元平面上に、それぞれの製品の位置を書くことができます。それを図2に示しましょう。
図2はユニバーサルデザインが求められる製品群の位置づけを説明した図です。縦軸は製品の寿命で上に行くほど寿命が長いことを意味します。横軸は利用の態様で左から右へ順に個人用、家族用、公共用であることを意味します。携帯電話、パソコン、洗濯機、自家用車、バス、建物などを図中に配置すると、携帯電話やパソコンは左下近く、バスや建物は右上近くに置かれることになります。
左下に近い、携帯電話やパソコンは、UDを拡張し個人用デザインが求められる製品群です。
一方、右上に近い、洗濯機、自家用車、バス、建物は元々のUD概念での設計が求められる製品群ということになります。
図2 ユニバーサルデザインが求められる製品群の位置づけ
利用の様態として「家族用」や「公共用」の可能性が高い製品ほど、また製品の寿命が「長い」製品群ほど元々のUDの原則を適用することが求められます。これに対して「個人用」が主な使用形態で、製品寿命も「短い」製品群は、利用者個人の状況と用途に適したデザインが求められます。ここまでは技術者たちも同様に考えるはずです。
しかし、ここでUD概念の拡張に関する重要なポイントについて説明しておきましょう。
第一に強調したいのは、「利用者個人の状況と用途に適したデザインが求められる」という言葉の意味です。これは「この製品は若者向けに限っているので、高齢者に対する配慮は必要ない」というような考え方を許すものではありません。むしろ「誰が使用するかわからないから、それぞれの利用者層に合わせて、いろいろなバリエーションの製品をそろえておこう」という考え方をとるべきです。
携帯電話を例にとりましょう。親指で数字キーを乱打しやすいものと、大きな数字キーがついているものがあるから、また、豊富な機能を装備したものと、通話とメールに限定したものがあるから、利用者は自分用に選択することができるのです。つまり「誰にでも公平に利用できること」という代わりに、「誰でもが、自分にあったものを選択して利用できること」が実現して欲しいということなのです。ここに概念の拡張があります。
第二に強調しておきたいのは、「情報通信分野の製品やサービス」=「利用者個人の状況と用途に適した」ではないということです。テレビ放送を考えてみてください。わが国でテレビ放送が開始されたのは1951年のことで、50年以上にわたって同じシステムが利用され続けています。放送の開始当初から字幕付き放送というコンセプトが取り入れられていたら、それを求め続けた聴覚障害者の長い戦いはなかったはずです。これは自動券売機や銀行の現金自動支払機(ATM)も同様です。情報通信分野の機器やサービスについても「誰にでも公平に利用できること」という原則、すなわち元々のUD概念を守るべきものが存在しているのです。これは決して忘れてはならないことでしょう。
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原本作成日: 2006年2月1日; 更新日: 2019年8月19日;