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日本で唯一の視覚障害者専用放送局 JBS日本福祉放送(2/5)

2 阪神・淡路大震災での安否確認に貢献

  東京と大阪にスタジオがあったことで大きな力を発揮したのが、1995年1月に発生した阪神・淡路大震災の時ですね。大阪のスタジオはぐしゃぐしゃになり、放送できなくなりましたが、すぐに東京のスタジオをキー局として切り替えましたので、放送は続けられました。最も力を入れたのは、視覚障害者の安否確認とその後の支援です。「ハビー」と名付けた支援組織を立ち上げ、神戸市内に現地対策拠点を、大阪のスタジオに日本ライトハウス盲人情報文化センター(現、日本ライトハウス情報文化センター)と共に支援対策本部を設置しました。関西への電話はほとんど繋がらなかったので、放送で全国のリスナーに呼びかけ、様々な情報を東京のスタジオに入れてもらいました。「こういう人が神戸の〇○区に住んでいるはずだから、安否確認してほしい」というような内容の電話ですね。必要な内容を放送するとともに、大阪から定期的に東京へ電話を入れ、大阪でも情報を入手し、支援活動に役立てました。

  まず、最初はローラー作戦を行いました。公認された避難所だけでなく、公的な施設はもちろんあらゆるスペースに人びとは避難していました。ボランティアの人たちが2人あるいは3人一組になって、神戸市・芦屋市・西宮市などのあらゆる場所を回り、視覚障害者を探すとともに、避難所では医師や看護師に「目の不自由な人を見かけたら連絡してください。私たちがお世話しますから」と呼びかけるチラシを配りました。さらに1週間後ぐらいからは、視覚障害被災者の名簿作りも進み、地図を頼りに、破壊されてしまった街を被災した視覚障害者を探して回りました。市役所などの行政機関はまったく機能していませんでしたから、このとき役だったのが、点字図書館やリハビリ施設の利用者リストでしたね。当時、私がまだ、情報文化センターの館長でもあったので、こうしたリストが使えたわけです。それ以外のデータなども含めて10台のパソコンで繋がったネットワーク・システムに打ち込んで名簿にして、それぞれ確認された事項を加えていきました。安否確認できた方は放送でもお知らせしましたし、一方でNHKの計らいでNHKラジオで被災地向けに「ハビー」の活動を知ってもらい安否確認の促進を呼びかける放送も行いました。3週間すぎたころには、神戸市が3障害者団体に限り、障害者の住所録に関する情報を公開しましたが、私たちハビーはその時点ではもう受け取る必要はありませんでした。逆に私たちの方が、神戸市・芦屋市・西宮市などの被災地のどこに視覚障害者がいて、どんな状況なのかというような資料を行政にお渡しました。

  避難所などにいることが確認できた人たちは、避難所に長くいることは無理なので、視覚障害者専門の施設などに移っていただく対応も取りました。この結果約1800人の安否を確認しました。残念ながら、18人の死亡も確認されました。

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