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夢をあきらめずプロ野球の道へ
〜横浜ベイスターズ・石井裕也さん〜(1/4)

1. 野球を始めたのはいつからですか

野球を始めたのは、小学校2年生のときです。兄が野球をやっていたので、僕も一緒にやりたいという気持ちがあって。兄を追いかける形で、同じ少年野球チームに入りました。はじめは外野手で、ライトを守っていました。

小学校5年生のとき、僕の1つ上の先輩がひじを痛めてしまったことがあり、その代わりとして初めてマウンドに立ちました。当時の僕は、球は速かったのですが、ものすごくコントロールが悪かったんです。以来、すっかりノーコンで有名になりまして(笑)。まわりからも「しょうがないなぁ」と言われていました。それが、僕のピッチャーとしてのはじまりです。

高校時代は、横浜商工高校(現在の横浜創学館高等学校)で甲子園を目指していました。とにかく練習も厳しかったし、上下関係も厳しかったので、つらいことや嫌なことが全くなかったわけではありませんが、高校の監督や先輩たちが、「聞こえなかったり、わからないことがあったりしたら、何でも聞いてくれ」と言ってくれました。それが本当に嬉しかったです。

この高校時代に、コミュニケーションやチームワークの大切さを学びました。チームワークが悪くなると、チームも弱くなる。だから、僕らの代こそは強いチームを作りたいと思い、仲間と一緒に一生懸命練習に励みました。3年生の夏の大会の準々決勝で、横浜高校と対戦し、あと一歩で負けてしまったのですが、不思議とくやしい気持ちはなかったです。それよりも、この仲間とめぐりあえて本当によかった。今でも、当時の監督や仲間たちに感謝をしています。

グラウンドでピッチングをする石井選手の写真
※写真2 「小学校の頃から、ノーコンだったけれど球は速かった」という石井選手
(現在のピッチング練習)

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