人と車の関係を見てみると、人は車で移動するために、山を切り開き道路を舗装して車が走れる道を作ります。つまり自然環境を改造して、車の環境に合わせています。これは言ってみれば技術が未熟だからで、どこでも走れるような車が開発されれば、自然環境を変える必要がなくなるでしょう。また、現在車椅子が通れるように段差をなくして平らにして、建物などを改造して車椅子が動きやすいような環境を作っています。でも車椅子そのものが高機能化すれば、車椅子専用に環境を改造しなくてもよくなると思います。
考え方を変えてみると、目が悪い人のために全ての文字を大きくしますか?ということです。目が悪い人は眼鏡をかけたりして環境を変えずに解決しています。人間には誰にも得意不得意な部分があります。目が悪いのはその人の個性であり、不得意な部分です。それを補うために眼鏡があるのです。足が悪いのも個性です。私は車椅子そのものを特別なものにしたくないと思っています。
バリアフリーといいますが、物理的なバリアフリーの前に、人の気持ちのなかで体の自由な人と不自由な人を仕切らないようにしてほしいと思います。私は中学生のときに病気で車椅子を使う生活を経験しました。そのときに自分が行きたいところには自分で行きたい、自分でやれることは自分でやりたいと痛切に感じました。小さいころからロボットを作るのが夢でしたから、このとき体が不得意な部分は機械で補えばいいと考えました。環境に合わせるために科学技術を使うのです。車輪では行けないところが多いですが、車椅子に足が生えていたら野山でも自由に行けます。足椅子ロボットを作りたいと思っていました。
眼鏡はさまざまなデザインのものがあります。かっこいい眼鏡をかけると気持ちがよくて、自慢したくなります。眼鏡はファッションや文化になっています。車椅子も人の不得意な部分を補うだけでなく、ファッションや文化に融合させたいと思います。移動ができるだけの福祉用の機械ではなくて、車椅子を「未来の乗り物」にしたいのです。
技術そのものがどんなに優れていても、人が主役になれるものでなければ意味がありません。不自由が不自由でなくなる技術が人を幸せにできると考えています。私は「目に見えないところに本質がある」という幼少時代をインドで過ごして知り合った日蓮宗のお坊さんの教えを今も大切にしています。「人を幸せにするロボットとは何か」と考えながら、体の不自由さを補う役割を果たすロボットの開発をしています。
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原本作成日: 2008年9月16日; 更新日: 2019年8月19日;