サイトマップ - ヘルプ - お問い合わせ
 
 
現在位置: トップページ > トピック > 高齢者・障害者支援サービス・取組 > 日本で唯一の視覚障害者専用放送局 JBS日本福祉放送(1/5)

日本で唯一の視覚障害者専用放送局 JBS日本福祉放送(1/5)

1 高度情報化社会に備え「情報格差」解消めざし発足

  私は右目の視力がゼロで、左目も弱視です。それで眼科医の紹介で、大阪市にある日本ライトハウスに勤めることになりました。そこの施設である点字図書館の館長代理をしていた1970年代の後半ごろから、「高度情報化社会の到来」というようなことが言われ始め、点字図書館もそういう時代に対応し、点字・録音図書だけのサービスに終わらず、視覚障害者の情報の拠点としての施設にしなければならないと考え、新しい施設の建設を機に名前も「盲人情報文化センター」と改めました。それに合わせ、活動をバックアップする組織として1977年(昭和52年)に「視覚障害者文化振興協会」を設立しました。

  当時、アメリカでは視覚障害者専用のラジオ局も沢山あることを知り、ラジオなら速報性があるし、情報格差も軽減できるのではないかと考えました。1985年、アメリカへ行く機会があり、視覚障害者向け専用ラジオ局がどのように運営されているのかその実態を視察しました。そして1988年に、協会の創設10周年の記念事業も兼ねて、大阪市で視覚障害者向け専用放送を開始しました。当時は「盲人放送サービスふれあい音友」という名称でした。日本では電波法の規定で、放送用の電波の割り当てを受けるのは極めて困難ですが、ちょうどそのころ、大阪有線放送(現USEN)がチャンネル数を大幅に増やし、チャンネルのレンタルも考え始めていたので、この回線を利用して、放送を行うことにしたわけです。有線の回線は全国的に張り巡らされていたので、全国に番組が届けられました。放送は結構人気が出て、リスナーは2年後には1万2000人に達しました。

  1989年には東京にスタジオを開設、二元的に放送が可能になりました。1991年、日本財団の助成事業により機器やスタジオなど基本的な放送設備を整えることでき、厚生労働省から社会福祉法人が認可されました。1992年に放送事業名を「日本福祉放送(JBS)」に変えました。

ページの先頭に戻る

目次へ 次へ