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一人でも多くの子どもたちが楽しめるおもちゃを
〜「共遊玩具」というユニバーサルデザイン〜(1/5)

1. 「共遊玩具」が生まれた経緯を教えてください(その1)

「共遊玩具」のなりたちは、1980年にさかのぼります。トミー(現タカラトミー)の設立者が亡くなるときに、「全ての子どもたちに夢を与えるような仕事をしなさい」という遺訓を遺したらしいのですが、この「全ての子どもたち」の中には、文化の違いや貧富の差、そして障害のあるなし、ということも含まれていました。そこでトミーは、障害のある子どもたち向けのおもちゃを専門に開発する「ハンディキャップトイ研究室」を社内に設置し、障害者の施設などを訪問しながら、現実的にどんなおもちゃが求められているのか、仔細に、丁寧に調べたそうです。

例えば、中に鈴の入っているボールは、転がるのをやめたときには音がしなくなってしまいますよね。そうすると目のみえない、特に小さい子どもにとっては、自分でボールをつかまえることがなかなか難しくて、ボール遊びが楽しめない。でも、音がしばらく続くボールを作れば、楽しく遊べる。そういうアイディアから、振動センサーつきのメロディーチップを入れたボールができました。その他にも、駒がずれないように工夫したゲームなど、最初の10年間は、目の見えない子どもたち向けのおもちゃが開発されていました。

しかし、障害児のためにデザインされたものは、少量生産で値段も高く、さらに目の見えない人たちだけが買いにくる店で販売されていたため、利益を出すことはできませんでした。最初は「それでもいいから」と考えていたのですが、80年代後半の不況もあり、財政的に続けていくことが難しくなってしまいます。そのときに研究室のメンバーではなかった他の社員から、「特別なものを作ろうとするからコストがかかるのでは。普通に作るおもちゃにちょっと工夫してみたら?」というアドバイスがあって。「なるほど!」ということで、そこから「共遊玩具」というアイディアが生まれたのだそうです。

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